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zoom RSS 末妹の祥月命日に寄せて・・・

<<   作成日時 : 2017/03/11 23:31   >>

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昨日は、末妹の祥月命日でした。
そして、私が妹の訃報を知ったのが21年前の3/11でした。




21年前の3/11の朝、警察から親に電話がかかって来ました。
その後、警察から親が私の職場に電話して来て、訃報を知りました。




あの日・・・
前日の3/9の土曜日から私も一緒に実家に泊り来ていました。
実家に帰る時は、よく日程を合わせて、一緒に泊まって、何時もなら夜中までお喋りするのが、その晩は珍しく彼女は早く寝てしまいました。
私は私で、当時の彼氏や親友のトラブルの相談で、長電話をしたりしていました。




子供が欲しいからと子宮内膜症の治療をしているのも、心療内科に通っているのも、知ってはいました。
でも、子宮内膜症の治療で仮性閉経期を作るホルモン治療のための、「更年期うつ」だとは、全く知りませんでした。
(現在は、こういうホルモン治療は行われていないそうです。)




身辺整理をしたり、自殺未遂をしたりで、何かおかしいとは思っていて、母も私も妹の言動には注意していたつもりでした。
でも、うつ病だとは知らずに接していたので、二人で後悔しました。
妹は、当時は実家まで自転車で来られる距離のアパートに住んでいました。
「病院に言って来る」とお昼過ぎに実家を出たまま、夕方になっても実家に連絡もないまま帰って来ないので、都内の自宅に戻っていた私に母から電話がありました。
妹の夫に電話しても出ないので、警察に「自殺の可能性があるので見に行って欲しい!」と電話をしてお願いし、妹の家を見に行ってもらいました。
その結果、チャイムを鳴らしても出ないし、灯りも付いていなかったとのことでした。
何処をどう探してイイかも分からず、家族一同不安な一夜を過ごしました。







※この後、かなりショッキングなことを書いているので、苦手な方はお読みにならないでください!!!








そして、翌朝の3/11にジョギングをしていた方が、妹が倒れているのを見つけて、警察に連絡してくれたそうです。
前日の夕方に実家に戻れずにいた時に、迷いながら色々考えて、病院の後に寄ったファストフード店の広告の裏面に、遺書めいたことや両親や私や親友に対する謝罪と思いが、乱れた細かい字で書き綴ってあったので、警察も自死と断定したようです。
ためらい傷もたくさんあり、倒れていた傍には、心療内科で処方された薬とビールと煙草が置いてあったそうです。
両親は電話直後に警察に行きましたが、検死が終わるまで対面できなかったし、遺族なのに警察の対応が余りに冷たかったと非難していました。




私は、もう焦って実家に行っても仕方ないので、両親と葬儀の日程などの連絡を取って、職場には妹が急死したのでと言い、休暇の手続きをして先ずは自宅に帰りました。
そして、葬儀場での湯灌の時に、余りに変わり果て、何とも言えないほど冷たくなった妹と対面しました。
茫然自失としていて、信じたくなかったです。
このまま一緒に歳を重ね、色々と相談したり張り合ったりしながら、普通に姉妹として生きて行けると思っていました。




私自身がうつ病になって、希死念慮はありましたが、「絶対に母より先に逝ってはいけない! 娘が二人もいなくなったら、きっと母は生きていられない!」と思い、踏み止まれました。
ただ、末っ子の妹が亡くなった後に、母の体調はガクッと崩れ、病気の種類も増えてしまいました。
でも、母のことに関しては、最期を看取ったのは父ですが、母が病気で生死を彷徨っていた時には何度もお見舞いに行き、亡くなる一週間前にはたくさん話が出来たので良かったと思っています。






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